闘病日記

2013年10月〜12月

<10月>

週末は台風で缶詰。しかも2連発。今年はマトモに当たるの初めてじゃなかろうか。せっかくサークルの潜り&飲みを予定していたのに、延期。その翌週も、少し逸れたがでっかいのが来た。今年はここまで台風全然来てなかったのに、ここへ来てスパートぎみ。


10/13(日)妻のお母さんが子供に会うために来沖。2011年の結婚式以来でした。空港まで迎えに行き、そのまま守礼そばとあしびなーへ。子供も初めてこういったお店に連れて行ったが、思ったほど泣かなかったのでホッ。もっと泣き喚いて大変なことになるかと心配していた。あしびなーではベビーカーも無料で貸し出しが。今の時代、こんなサービスもあるから、ベビーカー買うまでもないね(置く場所が邪魔になるし、そもそもそんな長時間の買い物やお出かけなんてたまにだし)。妻も買い物で多少はストレス発散できたようだ。
更にこの日の夜はちょっくら失礼してFLUKE-UP!の飲み会に。週刊レキオに掲載してもらった影響で、この1週間だけで5〜6人から参加希望メールを貰っていた。で、いくら自由に参加できるサークルとはいえ、一度に全員を受け入れるのも大変なので、何名かは申し訳ないが今回は参加を見送っていただき、次回以降にお誘いするということにせざるを得ませんでした。そもそも掲載以前にも数ヶ月前から待っていただいてた方も何人かいるので、こちらを優先しなきゃならないし。まぁまた面白いというか普通でない方々がお集まりになられました。自分は当面はどれだけ参加できるかわからんけど、ヤル気を持ってこのサークルの門を叩いてくれる人がこれだけたくさんいるのだから、少しでも頑張らにゃ。しかし平均年齢高っ!(笑)
10/14(土)お母さん連れてみんなで美ら海水族館&お決まりの花人逢へ。ここもベビーカー無料貸し出ししてくれて助かった。オキちゃんショーではこれでもかとギャン泣きして妻が先に退場しなければならんかったが・・・。水族館内は三連休ってこともあって、もう人が多くてウザイのなんのって(笑)マジ魚の数より人間のが多いんじゃないかと思ってしまう。あ、でも何と「隠れイルカ」を見つけちゃいました。花人逢も、もう15時だってのに待合席が全て埋まってしまうほどの大盛況(どんだけ稼いでんだろ、この店)。朝7時過ぎにパン食べただけだったんで長時間待ちはシンドかったが、ようやく飯にありつく。サラダとジュースも含めて3人でガッツきました。ここでも赤ちゃん用にバウンサーを用意していただき、誠に助かった。
2日間出かけっぱなしだったが、ベビーカー使用が長かったのと、お母さんにも面倒みていただいたのもあり、普段の週末よりは子供を抱っこする時間がかなり少なかった。いつもなら週明けの仕事始めの日が一番身体がシンドいが、今回の週明け火曜日は楽々でした。


<写真1>週刊レキオでFLUKE-UP!の記事が掲載されました。続けてきてよかった。

<写真2>というわけで懇親会という名の飲み会。飯場○はメシバではなくハンバと読むそうです。


<写真3>妻のお母さんが来沖したので、みんなで美ら海水族館へ。

<写真4>サプライズお誕生日会を妻が用意してくれました。

10/20(日)サークルで久々の大度海岸へ!ちょいとうねりがあって、でも水路から出てしまえば行けんじゃね?ってカンジでしたが、まさかの中央突破!さすがにこれはキツかったようだ。初参加者が3人もいたってのもあり、無理はできない。インリーフでのノンビリシュノーケリングに変更。水温もまだまだ温かく、みんな満足な表情(約1名、膝から流血してたけど)。インリーフでも魚が多く、十分に楽しかった。・・・といったみんなの様子を私は一人、陸上で子供抱っこして見学してました。海に来てるの、わかってんだかわかってないんだか(笑)帰りに寄ったそば屋も、古民家の雰囲気が最高。アーサそばも美味かった。みんなに子供を抱っこしてもらいました。
しかしまぁ自分が子連れで参加する日が来ようとは・・・。


10/21(月)はマイバースデー。いつも帰宅してすぐに自分がミクラを風呂に入れるのだが、この日は「私が入れるから先入っちゃって」と。で、上がってみるとテーブルの上にケーキが。ケーキの上には大きいローソク2本と小さいローソク1本が。 この日は自分の誕生日だが、3日前は妻の誕生日。そして4日前がミクラの100日記念。ってことで3人全員の合同記念日。全く予想してなかったので参りました。次は自分が・・・ってハードル思い切り高くなっちゃったな(汗)


<11月>
初っ端の3連休には両親がミクラに会いに来沖。これまた2011年の結婚式以来。到着したその足で家族写真を撮るために予約してあったサンエーの写真屋さんへ行くのだが・・・俺が飛行機の到着時間を1時間半も勘違いしてたことが判明。到着時間は予約時間の10分前、ガンメン蒼白(汗)だが神は我を見捨ててはいなかった。気流の影響からか飛行機が予定より20分以上も早く到着。そして俺のアクセルべた踏みの安全運転のおかげもあって、写真屋さんへは10分程度の遅刻で助かった。ふぅ、神経すり減らしたぜ(自業自得)。撮影のときは奇跡的にミクラがご機嫌で、普段見たこともない笑顔を連発。まぁスタッフのお姉さんの赤ん坊のあやし方がプロだったということか。
このときミクラに着せた服、母が持ってきたのだが、実は俺が生まれるときにお婆ちゃんが呉服屋に作ってもらってあったものだとか。でも俺のときはバタバタして使わずじまい、姉ちゃんの子供のときも既に衣装とか決めちゃってあったとかで使う機会なし。実に40年近い歳月を経て、やっとこ日の目を見ることになったのでした。お婆ちゃんも、まさかこんな形で使われることになるなんて想像もしてなかったことでしょう。しかしよくぞこんなに良い状態で保管してあったもんだ(桐箪笥にしまってあったらしい。そんなに変わるもんなんですね)。
その日は那覇のホテルに泊まってもらい(エッらい道混んでたな)、翌日は観光。自分たちも初めて行った識名園でアフリカマイマイの観察をし、海中道路とその先の浜比嘉島の秘密のビーチと昔ながらの集落へ足を伸ばす。コテコテの観光地だけじゃなく、昔ながらの沖縄も見てもらえるしね。それから恩納村の谷茶のホテルへ向かう。午後は母にミクラを押し付けてと水入らずの時間を過ごしてもらって、自分たちはホテルのプールへ。残念ながらウォーターボール(正式名称不明)は子供限定のためやらせてもらえなかったが、普通に泳いで肩コリコリが多少は解消しました。ホテルからの眺めもGOOD。夕飯の中華もGOOD。あ、前にも飯にだけ来たことあったっけ。
両親とは遠く離れて暮らしてるので普段は全く何もしてあげられてないが、僅かながら親孝行できたかな。両親もそんなにあっちこっち旅行とか出歩くタイプじゃないから、この歳になって何度も沖縄を訪れることになるなんて、思ってなかっただろうな。


11/22(金)〜24(日)まで黒島へ。この時期に八重山で見られるマンタシュノーケルが目的です。ミクラも飛行機初体験です(俺なんて28歳のときだったんだぜ・・・)。予想外におとなしくしてくれてたので一安心。黒島での宿は妻が毎度お世話になっている「みやき荘」。さすがにシーズン外してるので、噂に聞いていたハチャメチャな雰囲気とはだいぶ違ってたケド。
海はというと、ミクラの子守が必要なので、夫婦で一人づつ午前午後交代でボートシュノーケルへ出向く。俺は午後の部。おそらくここらへんの海としては透明度は大して良くはなかったんだと思う。それでも抜けるような蒼さ。浅い砂地が広がるポイントは絵葉書のようなエメラルドグリーンの海が広がる。あ、念願だったハナゴンベ探すの忘れた。でも見渡す限りのエダサンゴのポイント見られた。あとヤギのついたハマサンゴのポイントも。
・・・え?マンタはどうしたかって?
何の話でしょうか?(爆)


<写真5>高本海岸に沈む夕日。海以外、陸上は何も見るところがない島です。なのに何故か最高の気分。

<写真6>ターミナルにて、宿のご主人と。次はハイシーズンに行って宿の本当の姿を体験したいところ(笑)



そして我が職場についにXデーが訪れる!


ってことで11/30(土)は早速のガスト面接(笑)思えばココが万に一つの最強・最終本命だったのだが、既に 二股掛けてたこと、「仮面」だったこと、こちらも一発目だったのとで、心構えが甘かったか・・・。無念の敗退。


<12月>
12/1(日)今年は自分でも参加したこと自体が驚きだったNAHAマラソン。だって11月にRUNやったの1回だし。4月の宮古島終わってから今までで走った距離全部合わせても42km程度・・・は言い過ぎかもしれないが、もはやそれに近いレベル。もう割り切って、今回じゃなきゃできないような走り方 − 最後尾スタート、写真撮りながら走る − で行きました(詳細→第29回NAHAマラソン)。
そんでも膝を痛めることはなく、翌日も太もも付け根付近の筋肉痛だけで済んだ。筋量はブランクによって落ちても、身に付いたフォームは忘れないってことか。次はちゃんと練習して出たいな、いつになるかわからないけど・・・。


12月は有給消化に入ったので、ほとんど出勤なし。週1回づつくらいしか出勤しなかった。オフィスもどんどん片づけられて、少し寂しい雰囲気。昔の写真とか遺産が出てきて、当時を懐かしんでみたり。

12/12(木)会社の「忘○会」。忘年会だけでなく、いろいろ忘れちまおう会。最後なので&元マネージャからお小遣いも出たので、いつもより奮発していきました。日本酒と魚メインの料理はかなりハイレベル!おかげでワタクシはご満悦でした。久々に3次会まで行った。
はっきり言って、これだけ楽な仕事で、これだけの待遇の職場ってのは、日本中探してもナカナカないんじゃないかと。ましてや沖縄においては奇跡的な存在だった。しかも人間関係のストレスもゼロ。今までどこの職場にも嫌な奴の一人や二人いたもんだが、ここはゼロ。今回残念なことになってしまったが、ここに居られたからこそ、この何年かは自分がやりたかったことを存分にできた。それは事実。だから恨んでなんかいないし、この会社へ入ったことも後悔していない。その前に勤めていた会社も、これまたスゴイ会社だったので、辞めたことを後悔した時期もあった。仕事は非常にハードだが、待遇ウハウハだし、タダで海外旅行できるし。でも、プライベートな時間も持っていかれてしまうため、そのまま勤めていたら自分のやりたかったことは、未だ出来ないままになっていたハズ。

[補足]この会社の沖縄事務所も、何と同じ年の3月に、同じく閉鎖となっていた。最終手段として、ココに泣きつくことも考えていたのだが・・・。どこも厳しいのは同じか。一緒に仕事してたみんな、どうしてるかなぁ。。。


で、そのやりたかったことも、とりあえず一段落した(まだ終わりじゃないよん)。子供も生まれて当面はフリーな時間はほとんどなくなるだろうから、今後しばらくは仕事のほうに労力を注いで頑張ってみようかと。良い職場ではあったけど、仕事を通じて成長できるものがなかったし、自分の知識・スキルを発揮できないフラストレーションもあって、今回の事件が起きる前から転職を僅かながら考え始めていたのも事実。でも、やっぱりラクであることに越したことはなく、そのままズルズル居座ってしまっていた。今回の件は、自身の今後を今一度見つめ直す良いチャンスを与えられた、と前向きに思っておく。


何もせずに過ぎ去ったかのような一年だったが、激しく生活が変わった。子供の誕生、自身の失業、指の手術。。。本来なら大イベントである宮古島大会すらランク圏外。一年前には予想もしなかった状態。それもまた人生か。
これからは、自分のためでなく家族のために生きる。贅沢は言ってられない。


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