<7月>
7/30、大学病院へ入院。ここはいい人ばかりで最高でした。Mセンの後に来たから余計にスバらしく思えた。
俺が入院することについて、家族や友人は心配してくれたが・・・当の俺が一番楽観的だったような気がする。
「なっちまったもんは仕方ないだろ。」
別に生活習慣が悪くて病気になったわけでもなく原因もわからない以上、単に運が悪かったという他ない。俺に反省すべき点、今後改善すべき点は何もない。ある意味、入院はちょっと嬉しくもあった。行動が制限されやりたいことができない面も多いが、逆に膨大な自由時間が与えられるわけだから。今までの俺の生活からは考えられないことだった。だからこの間に、最近時間がなくてできてなかったこと・入院中でもできることを、一気に片付けてしまおうと計画していた。
ステロイド治療(→詳細:膠原病ってどんな病気?)
ステロイドには多くの(中には危険な)副作用があるため、使用する場合は本来なら家族の承諾が必要なのだが、俺の場合は親が来るのを待っている余裕がないほど危険な状態だったため、とりあえず主治医のHY先生から電話で説明をして口頭での承諾を取り、見切り発車。入院して最初の3日間は点滴でステロイド薬を大量投与した(パルス療法と言う)。これにより、とりあえず危険のない状態まで症状を一気に押さえ込む。この点滴はプレドニン1000mg/day相当だったっけ?その後のプレドニン服用量が45mg/dayだから、この点滴はスゴイ量だったんだね。大量投与は当然副作用の危険も大なのだが、命には代えられないってことで。
最初の3日間の症状は入院前とほぼ同じ。1日に何回か38℃代の発熱。それと睡眠中の10リットルの汗。夜中、眼が覚めたら寝巻きも布団もびっしょりになっていたので、ナースコールをする。着替えと新しいシーツ・掛け布団などを持ってきてくれたので、看護婦さんの見てる前で全裸になって着替えて(ウソ)、着ていたほうの寝巻きを看護婦さんに渡したら
看護婦I:「・・・え?スゴイ。」
と、驚くほどの大量の汗。寝巻きに乾いている部分が全くなかったと思う。俺、運動し始めると10分程度で汗が噴出してくるのだが、発汗作用が激しい体質なのだろうか?だから、この病気でも異常な量の汗をかいていたのだろうか。
しかし3日間の点滴が終わる頃になったら症状が完全に治まってしまい、発熱もなし。この後、現在に至るまで病気の症状らしきものはほとんど出ていない。もう病気は治ったと勘違いしてしまうほど何の症状もなくなる。恐るべし、プレドニンパワー。が、「では退院」というわけにはいかない。翌日から、錠剤でのプレドニン服用が始まる。こちらは45mg/dayからスタート。45mg/dayを8週間、40mg/dayを2週間、35mg/dayを2週間、30mg/dayになった時点で退院というスケジュール。よって入院は12週間、約3ヶ月かかるというわけだ。
プレドニン服用により、免疫力が落ちて感染症の危険が増すので、事前に虫歯がないか歯科でチェック。更にプレドニンは副作用で胃が傷められるので、事前に胃潰瘍などがないか胃カメラでチェック。
胃カメラ初体験の感想;
「んっごごごがげ、ごが、ごっっごごんが、っごご」
・・・入院中1・2を争う苦痛でした。
腎生検
背中から針を刺して針の先に腎臓組織をほんのひとかけら引っ掛けて取り出し、検査する。針は結構太く、ピストルのような器具で打ち込む。ただし、その前に針を刺す部分に局部麻酔するので全然痛みなし。針の打ち込み・引き抜きは「ピシュッ」とほんの一瞬。全然痛くない。
が。その後が大変。腎臓〜背中が傷ついてるため、傷がふさがるまで身動きすることを許されない。ベッドの上で同じ姿勢で翌朝まですごす。このとき傷を圧迫するためにさらし?コルセット?みたいなのをウェストに思い切りキツクぐるぐる巻きにされる。ウェストがかなり細くなるくらいのキツさ。このときさらしの上端がわずかに肋骨に当たってたため、後々地獄の苦痛となる。更に、傷のある部分には砂袋みたいなのを上から置いて圧迫する。トイレも尿道にカテーテルを差して自動排出。これも痛みに慣れるまでは脂汗が出るほどの苦痛。晩飯も寝たまま食べる。砂袋が乗ってる部分が痛くて耐えられなくなり、夜になってから勝手にすこし位置をずらした(あぶにゃぁwww)。
腎生検はたまに(確率1%未満だったかな?)針を刺してできた傷部分からの出血が、膀胱へ繋がる管に入ってそこで固まってしまうということが起こるらしい。そうなると固まった血液を手術で取り除く必要がある。その可能性は事前に詳しく説明され、承諾書を書いた。
腎生検の結果。
腎臓の血管の末端部分(糸球体という)は人体の中でも最も血管が細くなる部分であるため、全身の血管が炎症をおこしたとき、真っ先にやられる。腎生検の結果によると、糸球体は全体の7〜8割がやられており、それが原因で尿潜血、尿淡白が出ているということだった。その糸球体から少し遡った部分、当然血管が少し太くなるわけだが、その部分も所々炎症でやられていたそうだ。その「少し太くなった血管」の太さは、だいたい脳や肺の血管の太さと同じくらいらしい。ってことはいつ脳や肺で出血がおきても不思議ではない状態だったってこと。ちなみに脳、肺で出血した場合、致命率50〜70%程度らしい。つまり明日死んでも不思議でない状態、あと1ヶ月放置してたらまず確実に死んでいた、ってこと。
腎臓に関してはかなり酷い状態。正常なヒトの15%〜20%程度しか機能していないと。今後回復してもせいぜい50〜70%程度だろうと。なかなか厳しい診断である。
入院して一晩が明けた7/31、同じ病室の隣のベッドの患者KNさんが、読んでいた新聞から一枚を取り出して俺に渡してくれた。
患者KN:「これ、君の病気に関係あるんじゃない?」
そこには「京大の教授が遺伝子の中で免疫を司る箇所を発見した」という記事が書かれていた。この発見が膠原病等、現在不治の病とされている病気の治療法確立の足掛かりになる可能性がある、と。この記事を読んだとき、俺は思った。
神様はいるんだ、って。
もちろん、そこから治療法が確立されるにしても、何年も先の話なんだろうけどね。
<8月>
母と兄が来て、俺と3人で主治医の先生から病気のことや、今後の治療の方針について詳しく説明していただいた。もちろん、プレドニンの副作用についても。俺が今こうして記憶を頼りにHP書いてるのもこのときの詳しく、分かり安い説明があったからこそだ(間違いあるかもしれんが)。
プレドニンの副作用で、俺が最も気にしていたのは「骨粗鬆症になりやすい」ってやつ。マラソンを一生の趣味にしようと思っていた俺にとって、なかなかな仕打ちである。しかもよりによってフルマラソン参加を決めた矢先に。
・・・もう、走れないのか?
身体に負担のかかりにくい運動、例えば水泳などを趣味にしていくしかないのか。もともと水泳部だったし、好きだからそれでもいいんだけど。ダイビングはできるのだろうか?病気に対する不安よりも、今後の楽しみがどこまで制限されるのか、そちらの不安が大きかった。
俺は腎臓を傷めていたため、カロリー制限が課せられた。タンパク質、及び塩分の過剰摂取は腎臓の負担になるらしいのだ。病院食は3食合計で2100kcal/day、間食禁止。
今までの俺はというと、ざっと計算して4000kcal近く摂っていた。足りるわけがない。当面の間、空腹感との闘いが続く。はっきり言って病気そのものよりも、こっちのほうが辛い。毎週1kgのペースで体重が落ちていく。もう毎日毎日、三度の飯が待ち遠しくって!
「食事の準備ができました」
という放送が入る前にワゴンや食器の音に超反応で感づいて、フライングメシをしたことも数知れない。
入院中はトイレで出す尿を全て容器にとって自分専用の入れ物に入れるように言われた。採った尿は腎臓の機能を診る検査に使われる。入院初日、この検査の説明に来た看護婦Iさんが、
看護婦I:「入院中は24時間、尿を溜めてもらいます。あとで溜め方教えますね」
と言ったのだが、俺は勘違いして、
「24時間小便を我慢して、それから採尿する。あとで24時間我慢するテクニックを教える」
という意味だと思った。で、Iさんが下半身をグッと踏ん張って我慢して、その横で俺もマネして練習してる場面を思わず想像してしまった。。。
空腹を紛らすために昼も夜もお茶を飲み続けたため、頻繁にトイレに行くことになる。カフェインパワー炸裂。まぁ上記の検査にとってこれはプラスだったんだろうけどね。もちろん身体にもいいだろうし。
夜眠れない日々が続く。原因は、プレドニンの副作用&空腹感&1日中部屋にこもっていて疲れてないため。夜9:00就寝、夜0時起床が日課になっていた。ヘタすると結局一睡もできないってことも。夜9:00の消灯時間に眠りにつくのは至難の業だったが、それでも音楽CD聞いてると不思議と眠りにつくことはできる。単調な音の繰り返しってのは眠気を誘うんだろうか。更に最初の頃は眠り薬も出してもらったのだが、全然効果なし。
俺:「眠り薬飲んでもほとんど効果ないです」
女医:「薬は何種類かあるので、別のを試してみましょう」
といって別の薬を出してもらったが、まるっきりダメ。
女医:「じゃあ、また別の薬で・・・」
俺:「イヤ、もういらないっす」
べつに起きてるのつらいわけじゃない、むしろ自由時間が増えて嬉しい。
その後は毎日0時起床で、皆が起きる朝6時まで食堂で本読んだりする毎日。もともと読書好きの俺だったが、ここ何年も読書する暇なんてなかったなぁ。
あと大学院の研究に関する論文や、研究室の教授の著書も読んだり。というのも、大学院1年生は研究の中間発表ってのをやらなくてはならず、俺の発表の順番は11月の初旬だった。退院予定が10月末だから、入院中に可能な限り進めとかなきゃならなかったのだ!病院では実験とかはできない(ったりめーだ)ので、とりあえず背景となる部分の論文だけでもあさっておくつもりだった。このとき読んでいた論文や、教授の著書ってのは当然全て英語。なので朝飯食ったらとりあえずベッドの上で広げて英語の辞書片手に読んだりしてたんだけど、それを見て
「部屋に閉じこもって勉強ばっかやってるから病気になるんだ」
などと、何も知らないくせに勝手なことを言うやつが多くてかなりムカついた。正直うんざり。俺に限らず、友達の中にも、
筑波大生 = 勉強以外摂り得がない = 不健康
という偏見にムカついてる人は大勢いた。まぁ俺は実際病気にかかっている以上、反論はできんが。
ちょっと運動運動してみる。やはり部屋に閉じこもってベッドの上でじっとしているのは限界がある。階段B1〜12Fまでの昇降を何度かやってみた。が、栄養不足の身体で運動を行ったため膝を傷め、その後数日間、車椅子を使用するハメになった。腕立て伏せをやってみる。記録1回。冗談ではなく本当に1回しかできなかった。しかもこの1回で腰を傷めた。ダイエットとか言ってメシ抜いてる人、ヤバイのでは?食べ過ぎてたのを適正量に戻すならOKなんだろうけど。
今は辛抱の時と思い、しばらくは身体に負担をかける運動は避ける。が、ストレッチだけは続けていた。
回復したときいつでも飛び出せるように。
<9月>
9月といえば2学期開始。でもぜんぜんそんな実感なし。
大学では授業が再開したので、医学科の学生(5年生)が実習として先生に付いてくるようになり、学生が俺を専用の練習台にして検診の実習をしていった。2週間交代で2人の女子学生が来た。まぁ同じ大学の学生だから話しやすいだろうし、俺みたいに若い男性で膠原病を患っいる患者は珍しいということで、格好の練習ターゲットにされたらしい。午前中、俺のとこに来ては病気のことを根掘り葉掘り聞かれたり、血圧測ったり、脚気の検査したり。脚気がうまくいかないときはパワーで膝を殴って無理やり足を揺らしてたような・・・。午後になると授業がなくてヒマなのか、また病室に来てくだらない世間話したり。別の患者さんは学生が注射の練習する実験台にされたそうで、
先生:「いいか、ここだぞ、ここに刺すんだぞ。まちがえるなよ」
学生:「は、は、はいぃぃ!」
グサッ!!
患者:「ぎゃぁぁ〜」
学生:「すすす、すいません!」
先生:「失敗は3回までだぞ。」
患者:「え?」
・・・なんてことがあったらしい。だいぶ・・・かなり脚色してるが。
まぁヒマの極致だったので、俺としては大歓迎でした。
入院以来、大学の研究室の同級生Nが何度も見舞いに来てくれていた。そんで見舞いの品と証して、教授の新しい論文(英語)をよく持ってきて、
同級生N:「来週までに読んでおくこと」
と置いていきやがっいってくれた。いつだったか見舞いに来てくれたNと廊下脇の待合室で話していたらだんだん盛り上がってきて、ついに「うるせぇ」と注意されてしまった。
ある日、中学のときの同級生が1人尋ねてきてくれた。会うのは卒業以来、11年振りになるか。ナースセンターからのアナウンスで、
「ゾンさん、ご面会の方が来られています」
と言われたので談話室に行ってみたけど、見知らぬ女性が1人いるだけで「アレ?」と思ってしまったが、その人がその同級生だった。俺が入院する1年くらい前に、唐突に実家に手紙が届いていて、それから何回か電話や手紙でやりとりしていたため、彼女は俺が入院したことを知っていた。ところが、なんか俺が励まされるというより、俺がそいつの人生相談に乗るようなカンジになってしまった。職場での人間関係によるストレスの限界、自分の夢とのギャップ・・・。俺が一度社会に出てから再度勉強して大学に入ったものだから、何かアドバイスが欲しかったようだ。その後1年程してまた連絡途絶えてしまったが、今ごろどうしてんだろうか。
血漿交換治療(詳細:膠原病ってどんな病気?)
一旦血液を取り出し、血漿を分離・廃棄し、輸血用の血漿を他の血液成分と一緒に身体に戻す。これを一度に行うのではなく、数回に分けて少しずつ行うため、3時間ぐらいかかる。その間ずっと動けないのがキツイ。このときも本読んだり、周りにうろついてる人を捕まえて話相手になってもらったりしていた。俺はこの治療を週1回のペースで合計4回行った。
特定成分のみとはいえ、輸血は初体験。動脈に刺す針の太さにビビる。しかも動脈は深いところにあるので、皮膚の上からでは見えない。そのため、先生が動脈がありそうなところを指で触って脈を感じ、勘で針をブスッと刺す!俺は太腿の付け根に刺したり、腕に刺したりした。太い針を3時間も刺しっぱなしのため、終了後もしばらく腿の付け根が痛い時があった。また、動脈に刺しているため血が止まりにくく、あまり腿を動かすわけにもいかない。終了後、半日くらい車椅子を使用したこともあった。腕に刺したときは内出血して、かなり広範囲、腕が茶色くなってビビった。でもこれって自然に引いていくものだったのね。この針を刺すのはなかなか痛く、イヤだった。だが俺が4回目の血漿交換の日、俺と同じ病室に入院していた舌癌の患者さんが18時間に及ぶ大手術を受けていた。その過酷さを考えたら、
「これくらいで何を痛いとか言ってんだ、俺は」
と、あまりに自分が情けなくなった。そしてその後、一切の痛みを感じなくなった。
血漿交換をやってる最中に低血糖で気分が悪くなったことが一度だけあった。が、飴を一個もらってなめただけですぐ回復した。血漿交換をやる日は朝飯抜きだが、パンやパック牛乳など保存が効くものは冷蔵庫にキープしておいて、昼飯と一緒にたべる、等、食糧確保に余念がなかった。
だって・・・
この頃の俺の体重50.0kg(身長174cm)。ありえん。4月につくマラで測定したとき体重60kg、体脂肪率が10%くらいだったから、単純計算で俺の脂肪は60kg×0.1=6kgしかないことになる。仮に全ての脂肪が落ちきったとしてもまだマイナス4kgある。筋肉も相当量落ちていたってことだろう。この頃はベッドから起き上がるのもツライほど衰弱していた。
過去15年の体重変化を大雑把にグラフにしてみた。多少の変動はあるものの、この15年、ほぼ60kg前後をキープしている。が!入院したとたん、この落ち込みよう!!そんで退院したとたん、すっかり元通り。俺にとってこのときの体重減少がいかに異常事態だったか、一目瞭然。もともと肥満ぎみだった人がダイエットして10kg減少ってなら分かるが、もともと痩せている俺が10kg減少したのだから話が違う。ある先生は、
「栄養は足りているはず」
と言っていたが、絶対ウソだろ!見ろ、右のグラフを!