闘病日記

2002年9月後半〜10月:入院 そのA

<9月後半>
60kgあった体重が50kgにまで落ち込んだ。こうなると、もはや普通に活動することすら困難になってくる。

ある日、トイレに行くため廊下を普通のペースで歩いた。病室から往復50m程だろうか。たったそれだけで膝が痛くなり、その後数日間、車椅子を使うハメになった。硬い椅子に座るときは、座布団が必要になる。ケツの脂肪?筋肉?が落ちているため、尻の骨が硬い板にあたって痛いのだ。更にはベッドから起き上がろうと力を入れると、全身の間接で骨がゴツゴツ当たるような感じがして痛い。起き上がることさえ辛くなってくる。

さすがにこれはおかしいだろう、これでは病気を治す以前の問題になってしまうと思い、先生に訴えた。

俺:「体重が50kg切ろうとしてるんですけど、ほんとに大丈夫なんですか?」
先生:「では、ちょっとしゃがんだ状態から立上がってみて下さい。」

ここでウソついて、脚に力が入らずなかなか立ち上がれない素振りを見せた。

先生:「手で椅子などにつかまらないと無理ですか?」
俺:「はい。」

ということで、半ば強引に間食禁止を解いてもらう。まぁちょっと演技入っていたが、もうしばらく食事制限が続いていたら演技でなくなっていたのは間違いないと思う。実際、歩いただけで膝傷めてるし。

それからというもの、日中売店で弁当+パン+ヨーグルトなどを買っておいて冷蔵庫に隠しておいて、夜中、食堂で本読みながら食べる毎日。周囲には依然食事制限受けてる人もいるわけだから、昼間っからバリバリ飯喰うってわけにはいかないし。毎日の3食+夜食で1日4食。まあ起きてる時間が長いんだから、4食で普通なのかなって勝手に正当化する;

 → 俺が起きてる時間が1日21時間。普通の人が16時間とすると、俺は約4/3倍起きてるから飯も4/3倍必要ってことで、1日4食。

食事の後はなんか栄養が干からびていた身体に染み込んでくる?のを体感した。全身がジーンと熱く痺れる感じ。
食事の注意として、「カルシウム多めに」「タンパク質と塩分控えめに」というのがあったので、それを考慮して売店で飯を選ぶ。しかし、なかなか全ての条件を満たすのは難しい。そこで看護婦Kさんに頼んで、カルシウム入りのお菓子を外で買ってきてもらう。無理言ってホントすんません。これを境に少しずつ体重が回復。だいたい1週間で1kg弱回復していく。

飯を食えるようになってから、少しずつ運動を再開。
まずは階段昇降(B1〜F12)。1段抜かしでゆっくり歩いて登る。そしてB1までダウン。次は1段ずつダッシュで駆け上がる。午前中はこれを5セット行う。隠れてやってたが、ある日、汗たらして階段駆け上がってたら副主治医のTセンセとすれ違ってギクッ!
縄跳び。同じ病室の男性が外出するときに頼んで100円ショップで買ってきてもらった。これも隠れて駐車場の隅でやる。あまりに身体がなまっており、且つ縄跳び自体久しぶりだったため、二重回しをやるとジャンプと縄の回転のタイミングがずれてうまくいかない。20〜30回付近で位相がずれ始め、必ず躓いてしまう。しかしそれも最初だけ。身体が完全に覚えてるのですぐに100回超えるようになる。
分厚い英和辞書をダンベル代わりにして筋トレ。あとストレッチ(←そういや今はやってないな・・・)。
やれることは何でもやった。

夜中、いつものように眠れずに食堂で読書したりしてると、隣の部屋に入院してる女の子が入って来た。最初見かけたときは中学生だと思っていたが、話してみたら同じ県内の大学生だった。んで、夜中中ずっとしゃべってたら「声がでけぇ!寝れないじゃんか!」と隣の病室から怒られてしまった。当面の間このコが話相手になってくれたのでヒマしないで済んだ。あとハリーポッターも貸してくれたり、CD貸してくれたり、折り紙でお花の作り方を教えてくれたり(←何やってんだ俺は・・・)。ある夜、筑波山の麓で花火大会をやっており、病院の食堂からはるか遠くに花火を拝むことができた。このときは、このコと、どう見てもこのコより年上に見える高校生の女の子と3人で、食堂の電気を消して花火が終わるまでずっと見ていた。ちょっとだけ夏を感じたひととき。
彼女は今ごろどうしてんだか。気球に乗って宇宙まで飛んで行ってしまったのだろうか。

大学に提出する書類の期限が9月末だったので、外出の許可を申し出たが、T先生は渋った。プレドニン服用がそろそろ長くなり免疫力がかなり下がって、今が一番危険な状態であると。せっかく順調に回復してきているのに、ここへきて風邪などもらってきては台無しだと。しかし大学への書類ってのが本人が直接事務室行って提出する必要があったので、制限時間付きで許可してくれた。しかも大学の事務へ連絡し、最優先で俺の書類受取をするようにまで手回しして下さった(本来は書類提出時に不備がないか事務職員が確認するため、順番待ちになる。長いと2時間近く待たされる)。

そういえば大学病院なので教授回診なんてのもあった。火曜の午後は回診があるので部屋にいるように言われており、終わるまでずっと待たされる。午後一で始まっているようなのだが、俺のいる病室まで来るのはだいぶ後になってから。んで教授〜学生まで含めて、すげぇ人数でぞろぞろと大名行列のごとく廊下を歩いて来るんだけど、36秒くらい話して終わり。

大教授:「ん〜非常に病状が安定してきてますね。この調子なら予定通り3ヶ月で退院できますよ。」

あるときなんて、部屋に戻ろうと廊下を歩いていたらちょうど一団が向こうから歩いてきて、すれ違いざまに、お互い立ち止まらずに会話して終了のときもあった。

大教授:「あーいたいた。」(10m前方)
俺:「あ、すみません。すぐ戻りますんで。」(5m前方)
大教授:「あーいいよいいよ。順調にきてますから。」(すれ違う)
俺:「あ、はい。ありがとうございます。」(5m後方、振り向きながら)

・・・終了


<10月>
枯葉舞う季節。いつのまにか俺は病棟7階の長老になっていた。

これまで9錠飲んでいたプレドニンがついに減り始める。これから2週間で1錠ずつ減らしていく。まずは8錠に。まぁ1錠減らしたくらいではあまり変わらないか。・・・と思いきや。8錠になって2週目が終わろうとしていたころ。入院以来、21時就寝・0時起床が日課になっていた俺が、なんと3時まで、6時間睡眠を達成したのだ。そしてこれを境に、寝れる寝れる!!その後、プレドニン7錠になったら起床時間5時、6時は当たり前。

ちょっ、ちょっと待って!退院までにもっと本とか読む予定だったのに!

自転車練習開始。
早朝、病院の駐車場外周を自転車でひたすら回る。狂ったサルのごとく回りつづける。初めてのときは朝5:00頃に、いかにも運動してきますって服装で
「ちょっと外散歩してきます」
って当直の看護婦さんに言って外出ようとしたので、さすがにちょっと驚いていたが・・・。このときは朝霧が濃く、また駐車場の地形もわかってなかったので、段差に気づかず思い切りダイブしてしまった。自転車は正解。無理なく長時間の練習が可能で、膝を傷めることなく体力回復ができた。

そして、ついにジョギングを再開。病院の庭の50mほどの並木に沿って、柔らかい枯葉の上を行ったり来たり。10往復くらいだったかな。俺のフルマラソンへの第1歩はこんなところからスタートした。


退院まであと10日、日曜日に外出した日の帰りのこと。つくばセンターで買い物とかして、病院へ向かって雨上がりのペデを傘差しながらチャリで走っていたら、濡れた枯葉が積もっている場所でタイヤがスリップし大クラッシュ!! 右膝の皮がベロンと剥けて大出血、 右手の平の肉がえぐれて大出血。 チャリのハンドルが45度ひん曲がり、前後輪ともリムが歪んだ。 小さい頃、自転車で階段下りるのにチャレンジして転んだりとかしょちゅうあったが、今回のは史上最大のクラッシュだった。

傷口からばい菌入って感染、退院延期・・・そんなことが頭をよぎる。

そんなのだけはマジ勘弁だったので、病院の人にバレないよう、病室のある7階に帰る前に1階のトイレに隠れて、Tシャツで手の血をぬぐい、ティッシュで傷口をふいた。血でべっとりとなったTシャツの上に長袖シャツ(幸いにも黒だった)を着て隠し、ナースセンターの前を通る。看護婦に声掛けられたが、平常を装い、出血している右手は長袖の中にさりげなく入れて隠していた。退院まで、怪我を隠して直すことにする。だって傷が治るまで退院延期ってなりそうだったから。まずばんそうこうとセロテープを1階の売店で買ってきて。ばんそうこうとティッシュをまるめたやつをセロテープで貼り付けて傷口を圧迫して止血。これを傷が酷かった右膝と右手の平に施す。
・・・病院にいるのになんでこんなことしてんだろう、俺は。

回診のときは右手をさりげなく布団の中に隠して左手だけ出して気づかれないようにする。(もしかしてバレてた?)採血するとこも当然左手。でも左手のひらの針先ほどのカサブタにすら看護婦Tさんは気づいた。ギクッ!鋭でぇ。右手のひらは今でも傷跡がくっきり残ってる。
後で知ったが俺がこけた場所は有名な転倒スポットだったらしい。後につくマラ練習会のとき、後ろからきたチャリが全く同じ場所で同じような雨上がりのときに俺と同じように豪快にコケたことがあった。そんときは俺らが周囲の迷惑も顧みず道幅いっぱいに広がってタラタラとジョギングしてたので、後ろから来たチャリがイラついて無理やり横から抜かそうとしてコケた。なんか悪いことしてしまった気分。

そういや。俺は左腕に1本太い血管がある。採血のときなど、ほぼ必ず「すばらしい血管ですね」といわれる。この太い血管に採血の針を刺すのはカンタンなようで、いつもそこから採血してもらっていたのだが。
入院中、最後の採血のとき。看護婦Tさんが、別の細い血管から採ると言い出した。

看護婦T:「今日は最後だし、試しに別のとこから採ってみていい?」
俺:「お、いいねぇ。」
「きゃっきゃっ」

・・・とやってたら・・・刺し違えやがった!!あぁ・・・最後の最後で連続無事故記録が!!

社会復帰する日が近づいたので、身体を慣らすため、長めの外出を繰り返すようになる。昼飯も外出時に外で喰ったり。体重も順調に回復。とはいえまだ55kg、本来の値には届かない。
また、退院後の食事に関する注意を栄養士のセンセ−に説明していただいた。一通りの説明をしていただいた後、

先生:「何か質問は?」
俺:「せ、先生!アッ、アルコール類はっ?????」
先生:「どうぞ好きなだけ飲まれて・・・」
俺:「っしゃぁ!!!!!」
先生:「・・・下さい。もちろん常識の範囲内でね。あと、飲みながら揚げ物など脂っこいものをとると肥満の原因になりますので、それだけ注意して下さい。まぁこれは病気でない人にとっても同じ事ですが」

10月最後の週、ついにプレドニンが6錠になった。

退院だ。


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