闘病日記

2002年4月〜7月:発病〜入院


<4月>
大学院入学式の前日、朝起きたらなにやら首筋が痛い。筋肉痛のようなカンジ?
けど・・・明らかに違うようだ。
確かに前日は大変だった。運動不足のなかリュック背負ってあちこちと走り回った。でも、あれしきで筋肉痛なるとは思えない。
微妙だが熱もあるっぽい。疲れで風邪引いたと考えられなくもないが・・・。
普通の風邪なら「運動して治せ」的なところがある俺。どうせすぐ直るだろうと思ってた。
ただ一方で、今までに感じたことのない症状であることも気づいていた。

何か、初めてかかる病気なのでは・・・?

悪い予感の通り、1日経っても、2日経っても症状が全く改善しない。それでも、普通に生活する分にはほとんど支障はないので、いつもと変わりなく登校し、バイトのカテキョーへも週7回行っていた。

大学院になると学部生の頃と違い授業も少なく、研究も教授は上級生に付きっきりになってしまうため、1年生は最初はやること無し。ラクチン。よって授業の体育を存分に楽しむ余裕があった。俺は「水泳」と「つくばマラソン(以下、つくマラ)」を受講していた。

つくマラとは。「みんなでマラソンを練習して、12月のつくばマラソンに出場しましょう」という体育の授業である。もちろん自由課目。 大学1年生〜院生までごちゃまぜで行われ、受講生は4月の時点で120人ほど、男女比は半々。サブスリーを目指す実力者から、ダイエット目的の女の子まで、多種多様な人種が一堂に集う。4月に班分けの体力測定を行い、レベル別にA〜E班に分けられる。各班には1人ずつTA(ティーチングアシスタント)と呼ばれる学生が付き、直接の指導はこのTAによって行われる。4月末頃に班分けの体力測定が行われ、俺は12分間走3000m、50m走7.4秒、30秒腹筋28回で無事A班に入った。

この時期、この体育の授業が一週間で一番楽しい時間であり、多少熱っぽいときもかまわず走り、また、プールで泳いだ。

しかし、症状は改善せず。首筋の痛みは消えたが、その後、手首・足首の間接が痛くなり、それが引いてからは 脚全体の筋肉痛?のような痛みが始まった。そして、徐々にではあるが、ひどくなってきているようだった。「今年こそは」って誓ってのつくマラ受講だったのに。物心ついた頃からの夢への挑戦だったのに。この身体の異常は何なんだ・・・?思う存分練習ができない日々が続く。体育水泳のセンセ−にも症状を話したら

タイセン:「あぁそりゃ完全に風邪だよ。さっさと帰って休め。」

って言われた。普通風邪としか思わないよねぇ、やっぱ。

この年は、夏休みに北海道へのチャリンコ旅行を計画していた。道路地図をコピーし、予定ルートを赤ペンでなぞり、野宿できそうな場所や温泉のある場所を調べるなど、ちゃくちゃくと準備していた。


<5月>
GWに実家へ帰省。母から

母:「なんだかずいぶん痩せたんじゃないの?」

と言われた。元々痩せているといっても、体重変動のほとんどない俺が、更に痩せていたのだから普通じゃない。
たしかに体調異常が出てから、飯を食べるのが億劫になってはいた。
GW明け、さすがに心配になり、宿舎近くの開業医の病院へ行く。
やはり37℃代の微熱がある。また、血液検査では炎症反応を示すCRPが5.6(正常値0.0〜0.4なので10倍以上)と異常な値を示し、尿検査で微量な尿潜血が出た。どちらもこれまでで初めてのことだ。ただ医者の話では潜血は僅かだし、炎症反応も風邪引いただけで出ることがあるらしい。とりあえずただの風邪だろうということで、抗生剤をもらった。
さすがにこの頃から、体育には出席できなくなっていた。A班のTAに事情を説明し、しばらく休みがちになる旨を伝えた。
1週間ほど薬を飲んだが回復せず、再度、来院。前回と同様の検査をしたがCRP値等の改善が見られないため、別の抗生剤を出してもらう。更に1週間ほど薬を飲むが、全く症状は変化なし。これを見て先生は言った。
内科センセー:「大きい病院で詳しく検査してもらったほうが良さそうですね。膠原病の可能性も視野に入れた検査も必要に・・・」


膠原病?・・・って何??


近くの大きい病院と言えばMセンター病院(以下、Mセン)か、某大学付属病院(以下、大学病院)があったが、このときは結局Mセンへの紹介状を書いていただいた。

通院を始めてしばらくたった頃から、発熱は38℃を超えるようになっていた。
さらに大量の寝汗をかくようになる。それもとてつもない量の汗だ。例えるなら「真夏の炎天下を1時間ジョギングしたとき」と同じくらい、着ているものがびしょ濡れになる。しかもそれが毎晩。敷布団と毛布1枚を掛けて寝ているが、ふと眼が覚めると汗で布団がびしょ濡れになっている。服を着替え、敷布団を裏返し、毛布も裏返す。再度眠りにつくが、気づくとまた汗ダク&布団びしょ濡れに。もう一枚の毛布を敷布団代わりに敷き、毛布カバーを掛け布団にする。これで朝を迎えられればよいが、更にもう1回寝汗が来た日にゃ・・・お手上げ。諦めて服だけ着替えて、そのまま濡れた布団で寝るしかない。こんなんだから全然熟睡できず。授業中は居眠り当たり前。
この汗は、起きているときに発生することもある。
発熱が来る前に、猛烈な寒気に襲われる。これは風邪引いたときと同じだ。寒気が来ると、初夏と言えるこの時期でもジャンバーを着なけりゃいられないほどになる。その後一気に体温が38℃を超える。こうなるとTシャツ一枚でも汗をかく。そしてその熱が一気に収まるとき、大量の汗が噴き出る。
その他の症状としては、目の充血、足に茶色(紫色?)の斑点ができる。これは膠原病の典型的症状らしい。


<6月>
Mセン、最悪。予約入れて行ってるのに、3時間待ち。初めて行ったときは
「絶対忘れられている。言いに行ったほうがよさそうだ」
と思うほどだった。が、後ろにいた患者とその付き添いが同じような事を話ているのが聞こえたので、
「俺だけ忘れられてるわけじゃないんだ」
と思ってそのまま待った。で、診療時間はたったの10分。検査も、最初に行った病院と同じ事の繰り返し。約1ヶ月、このような通院が続いたが、いつも同じ事の繰り返し。その挙句、

Mセン先生:「う〜ん、わかりませんねぇ・・・困りましたねぇ」「よくわからないので痛み止めでごまかしつつ、もう1週間様子を見てみましょう」

・・・「ごまかしつつ」って何だよ?
あのぉ〜〜〜センセェ〜〜〜足首のレントゲン撮っても無駄だと思うんスけどぉ〜?
まぁ俺も「足首が痛い」ってことを強調してしまったからいけないんだけど。でも話の流れで、

Mセン先生:「どこが痛いんですか?」
俺:「全身痛いです、足も、腹筋のあたりも、最近は平気ですが最初は手首も・・・」
Mセン先生:「強いて言えばどこが一番痛いですか?」
俺:「強いて言えば足首です」

ってなっちゃったんだよね。

Mセン先生:「炎症が出てるのは間違いないんですが、それと足首の痛みってのが繋がらないんですよねぇ・・・」

シロートの俺だって、足首の炎症か何かが原因でこんな発熱やら尿潜血やら全身の痛みがくるわけないことぐらいわかっていたけどなぁ。 そういう「身体の一部に患部がある」ってカンジではないんですよ。全身がやられてるカンジなんです。
もっらった痛み止め薬は、若干は効果があるようだが、だからといって病気を治す薬ではないので、はっきり言ってあまり飲みたくなかった。副作用で胃が痛くなるし。ただでさえ食欲がなくなっているのに、この胃の痛みのせいで、余計に食事を避けてしまった気がする。
Mセンはあまりに頼りないし見当外れの診察してるから、不安になり他の病院を探す。

尿潜血が出るってことは腎臓・膀胱・尿道のいずれかに原因があるとしか考えられんだろう、と勝手に判断して、泌尿器科のある別の病院へ行く。検査をしてもらうと、やはり尿潜血は間違いないと言う。で、薬を出してもらい、やはり大きい病院での検査が必要だと。でも・・・
あのぉ〜〜〜センセェ〜〜〜その薬、前に飲んで効かなかったヤツなんスけど〜?紹介状がMセン宛てなんスけど〜?
それでもMセンに腎臓に詳しい先生がいるというので、行って超音波による腎臓検査を受ける。が、やはり異常はないと。腎臓には詳しい先生が言うのだから間違いないとは思うが。

熱が出る前の寒気があるため、6月も終わりに近づいてるってのに、防寒ジャンバー着てカテキョー通勤。嵐のような日も、雷雨の日も、かまわずカッパ着てバイク通勤を続ける。だんだん脚の痛みも酷くなり、歩くのが苦痛になってきた。食事のため宿舎の食堂や売店へ行くのも億劫になってきた。大学の研究室では月に数回徹夜で実験を行っており、そのときは総出で行うのだが、俺がフラフラになったり汗ダクになっているのを見て、さすがに教授も、
教授:「帰って休め。実験ならどうせこの先イヤというほどやることになるから。」
と言ってくれた。

6月後半のある日曜日、以前教えていた生徒Nちゃんが、
Nちゃん:「筑波大で行われる陸上の大会に出る」
ってメールくれたので応援に行ってやろうかと思ったけど、とても起き上がれる状態でなく、部屋で寝転んで過ごした。


<7月>
夏休みが始まった。だが、1学期も大学へ行ったり行かなかったり、だったのであまり実感はなかった。

バイトでやっていたカテキョーが1件クビになった。その日はある生徒のとこに行く予定だったのだが、朝、急に
「今日来て下さい」
と、別の生徒の親から電話が掛かってきた。今までの俺なら当然ハシゴしてでも向かったのだが、連日の38℃の熱と全身の痛みのせいでとても1日2軒行ける状態でなかったので
俺:「すみません、今日は無理です」
と断った。その翌日クビになった。まぁ理由はそれだけではないのだろうけどサ。病気だから、と言い訳するつもりもないけどサ。


サークルのプール練習に1回出る。当時俺は大学のスキンダイビングのサークルに所属していたが、バイトが週7回あり、かつ病気の症状も出てボロボロだったので、この頃全然参加できずにいた。この年入った1年生に会うのも実はこの時が初めてだった。本来なら新入生に挨拶して回らなきゃ、なんだけど、そんなことしてる気力もない。体調異常のことは黙っていたが、メンバーの一人TMからも、
TM:「前にも増して痩せたんじゃない?俺の肉を10kgくらい分けてあげたいよ」
と、言われた。でもプールはかなり気持ちよかった。この年、数少ない「夏を感じた日」。


俺は横浜でサラリーマンをやっていた時代、生命保険に加入しており、学生となった今も継続していた。が、何年かたってもっとお得な商品が出てきたから、と、当時の営業おばちゃんOh!No!さんから変更の申し出があったので受けることにした。で、つくばまで出向いてくれるとのことだったので、つくばセンターの高速バスの発着所で出迎える。東京駅からのバスが到着して・・・来た、Oh!No!さんだ。懐かしい。Curry臭も健在だ(笑)センターのカフェでコーヒー飲みながら、当時の俺の同僚が結婚しただの、先輩が今どうこう・・・って話を聞かせてくれて。ほんと懐かしい。
が。肝心の保険の話はというと。現在、原因不明の体調不良が治まらない、って話をしたら、やっぱ別商品への切り替えは難しいと。今ある契約をこのまま続けるほうが得策ということで、切り替えの話は流れてしまった。


その後・・・再度Mセンへ行ったとき(何で行ったんだっけ?)、やっと病名が判明した。

Mセン先生B:「前に検査やったときの結果で尿タンパクと膠原病の陽性反応が出てます。大学病院に行って検査してもらって下さい。入院が必要になると思います。」

やはり最初の病院で先生が言われていた通り、膠原病だったのだ。
それにしてもMセン・・・前に分ってたなら電話ででも連絡しろよ。後々、Mセン→大学病院への紹介状見たら
「○月△日の検査で膠原病陽性反応が出るも患者が自主的に通院を中止し・・・」
って書いてあった。確かにそうだけど。なんか納得いかねぇよ。ねぇ?
でも「ほっとした。」というのが正直な感想。何の病気か分からないで先が見えない状態ってのはほんとストレスだった。「状況がわからない」よりは、たとえ悪い状況であっても「分かっている」ほうがよっぽど気楽だ。そのほうが、これからどうすべきなのか、といった見通しや心構えもできるし。膠原病がどんな病気なのかこのときはまだ知らなかったし、カンタンな病気ではないことは雰囲気でうすうす気づいてはいたが、そんなことより病名が判明した安心感のほうが大きかった。
それにしても・・・最初に行った開業医の先生は数回の通院で膠原病の可能性を見抜いていたってのに、Mセンはなんなんだよ。今にして思えば、膠原病の典型的な症状がいくつも現れてたと思うけどなぁ。
治まらない発熱、間接・筋肉の痛み、脚の斑点、抗生剤が全く効果ない・・・etc.

大学病院で検査を受ける。病名は正確には「結節性動脈周囲炎」という。もっと細かく分類すると 「顕微鏡的多発血管炎」。最初に診断してくれた先生は、
先生:「正式な病名はmicroscopic ○*△×?@といいまして・・・」
とわざとらしく横文字から入って下さった(笑)長い間放置してしまったため、病状はけっこう酷く、検査入院だけでは済まないらしい。入院期間は3ヶ月程になる見込みだという。

3ヶ月入院するのではバイトのカテキョーは当然やめるしかない。本来やめるときは1ヶ月以上前に(2ヶ月だったかな?)カテキョー派遣会社に連絡する必要があるのだが、今回ばかりはやむを得ないということで、急遽、降板を認めてもらった。カテキョ−は直前にクビになったとこも含めて生徒5人中4人が受験生(中3×3人、高3×1人)だったので、卒業まで見届けられなかったのがとっても残念。俺が教えるようになってから人が変わったように熱心になったコもいて楽しみだったのになぁ。
そういや。カテキョーやめなければならないことを、ある生徒の親に話したときのこと。
生徒とおかーさんを前にして病気の名前とかいろいろ説明していると、

おかーさん:「あらまあ・・・大変ねぇ。うちのおにーちゃんも大丈夫かな、来月富士登山行くって言ってたけど・・・」
俺:「いや、あの、それは膠原(高原)病じゃなくて高山病ですよ」
生徒:「・・・」

しばらくするとおとーさんが部屋の前を通ったのでおかーさんが呼び止めて
おかーさん:「ちょっとアンタ、センセ−入院だってよ」
おとーさん:「なになに?どうしたんだね?」
俺:「はぁ、膠原病って病気らしいんすけど・・・」
おとーさん:「へぇ。登山でもやってるのかね?」
俺:「いや、だから、その・・・(以下省略)」
生徒:「ハァ・・・(タメイキ)二人してバッカじゃない。」
・・・両ボケの夫婦漫才。

入院が決まったので、Mセンでは痛み止めの薬よこさなかった。痛み止めなんてできれば飲みたくなかったが、この時期はそうも言っていられないほど、身体の痛みが酷くなっていた。残りの薬の数と入院までの日数を数えて、薬を使う日を割り振る。兄貴に会いに(入院の保証人の書類を書いてもらうため)東京の町田へ行く日は絶対飲む必要があるから、この日は服用決定。それ以外の日は・・・。2日連続飲まないのはしんどいから、3日で2錠飲むペースにして。飲まない日がどうしても1日は必要だから、その日はベッドで1日中じっとして・・・。
・・・なんでこんなサバイバルなことせにゃならんのだ。一日中ベッドに横になり、朝飯も食べず、昼飯のときだけ宿舎の売店に行ってヨーグルト等を買って食べる。痛み止め薬で胃が荒れて普通のご飯は喉を通らなくなっていた。
結局、入院日が予定より2日くらい早まったからよかったものの、当初の予定通りだったら部屋でくたばってたのでは?


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