闘病日記

2005年10月〜12月

<10月>

7〜9月に出張で行っていた東京あきる野へ俺一人、2週間だけリターン。沖縄はまだまだ夏なのに、東京はすっかり秋だった。 誤って半袖Tシャツしか持っていかなかったから寒かった。しかも雨降りの日が多かったし。 このときはホテルが立川駅の目の前、繁華街だったのでさすがにマラソンはナシ。一人での出張ということで プレッシャーもあったし。 この2週間はレンタカーを借りて移動。あ、俺ペーパードライバーだった。 ずっとバイクだったから、免許とってから10年で4回しか車の運転してねぇ。あはは、まぁいいや。

東京から帰った金曜の夜は、居酒屋『うりずん』で素潜りサークルの飲み会。この日初参加の方も何名かいた。 翌日からの3連休は3連ちゃんで素潜りへ。真栄田・砂辺・米須海岸へ、それぞれ出向いた。米須海岸へは 初めて行ったが、海の広さと蒼さに感動した。
翌週末にはまた出張へ出発。今度はイスラエルへ1ヶ月行くことに・・・。


<写真1>ロンドンHeathrow空港近くのホテルで一泊。

<写真2>翌日、イスラエルのTel Avivへ向けて出発。

成田からイギリスのロンドンHeathrow空港経由でイスラエルへ向かう。日本からイスラエルへの直行便はないのねん。成田で1泊、ロンドンで1泊、そしてイスラエルのテルアビブ空港へ。

ここは雨季・乾季が分かれている地中海性気候。なんじゃそりゃ?って人は中学校の地理の教科書を参照。俺らが行ったときはまだ乾季で沖縄より暑いくらいだった。乾燥もひどく、寝てるときに喉の渇きで何度も眼が覚めてしまう。
ホテルの目の前は地中海!ヒマさえあれば海で泳いでいた。到着して10日目頃に突如雨季に入る。曇の日が多くなり、気温もグッと下がった。が、晴れればビーチには日光浴する人の姿が。この国の人は他にやることがないのだろうか?かく言う俺も、ヒマなときはホテルのジムでトレーニングするか、ビーチで日光浴しながら本読んだりしていた。ホテルは自室ではネットも繋がらないし。


<11月>


<写真>イスラエル、アシュケロンに1ヶ月滞在。ホテルから地中海を望む。

<写真>ホテルの近くのハーバーへ。


<写真>ホテルの近所へ買い出し。

<写真>ホテルの周辺の、異国情緒溢れる住宅街を歩いてみる。キレイで生活水準高いようだが、住むにはヒマそうだな。

イスラエルの飯は、美味いんだけどとにかく量が多い!多すぎ! 最初に出るappetizerだけで腹いっぱいになっちまう。 でも酒は種類が豊富で選び放題。一緒に行ったもう一人のメンバーが飲んだくれだったのも手伝って、 俺にしてみればこれまでにないくらい、毎晩飲んでた。ジン、リキュール、ラム、ウォッカ、一通り飲んだ。 特に特性カクテル「COBRA」はジン+ウォッカ+リキュール+PEACH汁のごちゃ混ぜ。 予想通りのコユイ味、分かり易く言えば「子供用風邪シロップ」の味に近い。 料理は当然、脂っこい&量が多いものばかり。 あれ?これって脂肪+アルコール(糖質)という、最も太りやすい組み合わせなんじゃ・・・? でも俺は、体重が減りました。出張中でマラソン量が減ってたからね。
あと、イスラエル滞在中はプレドニンを飲み忘れることがちらほら。到着時の時差と、途中で日勤・夜勤がごっちゃになったことで 時間感覚が少し混乱していた。一ヶ月の間に5日くらい飲み忘れた。
滞在最終日、死海へ連れてってもらった。実に摩訶不思議な体験ができました (詳細→イスラエル出張〜死海〜)。


<写真>死海へ。海抜は地球上で最も低い−400m。思えば遠くへ来たもんだ。。。

<写真>当たり前だけど、ホントにプカプカ浮いてしまいます。対岸はヨルダン。


イスラエルから帰国。
インフルエンザが流行し始めたため、会社で予防接種が義務付けられた。 ってことで会社近くの病院へみんなで繰り出す。問診表に膠原病のことを書いたので、当然、医師からいろいろ質問がされる。 そりゃそうだ、薬で免疫力を落としてる身体にわざわざウィルスを注射するんだからね。危険この上なし。発病〜現在の病状等を話した結果、

先生:「プレドニン服用が1錠/dayなので免疫力もだいぶ戻ってきているハズ。大丈夫でしょう」

ってことで凶悪殺人ウィルスを体内に注入!!!
&その日の夜は素潜りサークルの飲み会でエタノールを体内に大量注入!!!!
ちなみに沖縄地方ではエタノールのことを泡盛と呼ぶ。


今度の出張はアメリカ バージニア州へ3ヶ月。このため、エントリーしていた12月初めの那覇マラソンには出られなくなってしまった。 まぁ何も練習してないに等しいし、今出ても足傷めて終わっただろうけど。
そんで渡米前日。朝起きたらなにやら右の首筋が痛い
忘れもしない3年前の4月、膠原病を発病した日の朝も「目が覚めたら首筋が痛い」だった。

ままま、ままん、ま、まんまん、まままさかぁぁぁ!!!!!

・・・でもこれはちょっと違うな。リンパ腺が腫れてるカンジだ。 ず〜っと以前、高1のときに経験がある。 あのときは右の膝小僧の擦り傷をほったらかしていてバイ菌が入り、右腿の付け根のリンパが腫れた。 今回は右の首筋だから、右半身の傷から感染したってことだろうけど・・・それらしい傷がないのが気になる。 心当たりは「3日前の通院で採血した傷からバイ菌が入った」「予防接種のウィルスどもが頑張り過ぎた」くらいしか思いつかんな。 左なら奥歯が虫歯なんだけど。 慌てて半休とって病院へ。実は3日前に定期通院したばかりだったので、病院の方でも驚かれた。 また、やはり「右側の歯に虫歯がないか?」とも聞かれた。 結局、原因はわからなかったが「ちょっとした風邪でしょう」ってことで抗生剤をもらった。 1週間くらい飲んでたら、知らない間に腫れは引いていた。

飛行機でアメリカへ向かう。那覇→関空→サンフランシスコ→ワシントンという経路でワシントン Dalles空港へ到着。 ところがサンフランシスコ空港で預けたはずの俺のスーツケースがいつまでたっても出てこない! まさか紛失!?とりあえず見つかったらホテルに届ける、ということにしてもらったが・・・。 スーツケースの中には命の薬プレドニン3ヶ月分が入っているのだ! 2〜3日は飲まなくても平気だろうが、もしこのままスーツケースが見つからなかったら帰国するハメに・・・! 自分に責が無いとも言えないし、他のメンバーや会社にも迷惑かけてしまう。 マジで焦った。2日後、無事ホテルに届けられたからセーフでした。


<12月>

アメリカ、バージニア州・・・
・・・
・・・・・寒い。
雪降ってるし。気温-10℃だし。なのにアメリカ人半袖だし。
アメリカと聞くとTVで見るニューヨークのビル街やスラム街のイメージが強く、あまり綺麗な国という印象はなかったが、ここは田舎。景色も広々としていて、俺としては意外なほど綺麗な場所だった。
仕事のスケジュールはのんびりしていたので、週末は近くのワシントンDCまで行ってホワイトハウスやスミソニアン博物館などを見て回った。また他のメンバーにつられてアウトレットモールで服や靴などを買いまくった。
スミソニアン博物館の1つには呪われているというウワサの「ホープダイヤモンド」が展示されていた。写真撮ろうとしたが何度撮っても必ずブレてしまい・・・5枚くらい撮影したが結局1枚もうまく撮れなかった。まさかこれも呪いのせいじゃ・・・

ちなみに俺は「英語話せるか?」と言われたら・・・ビミョーです。「読み書き」なら問題ないが「聞き取り」に関しては、やはり経験が絶対的に少ない(っていうか皆無だった)。こればかりは時間をかけるしかないんだろうね。まぁ買い物とか日常生活する分には今のままでも心配はないが、複雑なやり取りになるとちょっと無理。


<写真1>ホワイトハウス前にて(”WANTED”で顔隠すってのもなんだな・・・)。背後の柵には80万Vの電圧が掛かっています(ウソ)。

<写真2>リンカーンメモリアルパーク。リンカーン像は修復中でよく見られなかった。

年末は一時帰国。ということで沖縄へ戻ってきた。
アメリカへの出張期間が1ヶ月延長になったため、念のため病院へ薬を貰いに行く。 ところがちょっとした行き違いで6時間ほど待たされるハメに。ううぅ、貴重な沖縄での1日を・・・。 しかも午後からサークルメンバーのふみ♂と潜りに行く約束してたのに・・・。時間はなくなってしまったが、バイクで米須海岸へ向かう。ちょうど帰ろうとしてるとこだったが、間に合った。ホントすんません。その夜はサークル飲み会、久々に二日酔いになった。
翌日、名古屋空港経由で実家へ(いつも羽田経由で飽きてきたのでたまには別ルートで移動してみようかと)。 地元の親友Daiと久々に飲もうかって予定してたんだけど、時間が合わず電話で話すのみになってしまった。 ちなみにアメリカを発ってから実家に帰るまでほとんど睡眠なし!ってことで実家では爆睡しすぎ。


新しいことずくめの一年だった。これまで海外なんて一度も行ったことがなかったのに、この僅か一年でほぼ地球を1周してしまった。世界が広がった。体力的にキツイのは否めないが、めちゃくちゃ充実した贅沢な生活を送るようになっていた。まぁマラソンとかダイビングといった本来の趣味が全くできないのが不満と言えば不満だが。この仕事してなければ、こんな生活はできないだろうしね。贅沢な悩みだ。


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